出発信仰
〜 World Wide Japanese Ministries の歩み 〜


  西郷牧師がプリンストン日本語教会 (Princeton Japanese Church = PJC)を開拓し始めた頃、ある新聞の記者がインタビューにやって来てこう尋ねました。なぜプリンストンで日本人教会なのかと。

  プリンストンという町はニュージャージー州の南部に位置し、西はペンシルバニア州との境近くにあります。この町はあの有名なプリンストン大学で知られていますが、はっきり言ってそれ以外は何もないのどかな田舎町です。94年度の統計によるとニュージャージー州(NJ)には永住者、長期滞在者を含めた、21,350人の日本人が住んでいるそうです。これはカリフォルニア州、ニューヨーク州に次いで最も大きな在留邦人数です。しかしニューヨーク市などの大都市からかけ離れたプリンストンには、僅か470人(94年度統計)の日本人が住んでいるだけです。「なぜここで日本人教会なんですか?」あの記者が聞きに来たのも無理はありません。確かに日本人教会を始めるには、あまりにも郡が小さすぎると言えるでしょう。

  しかし西郷牧師はこの記者にこの様に応えました。「たった一人の日本人しかいなくとも、何かがなされねばなりません。」この様な答えにこの記者が納得したかはわかりませんが、神様は確かにプリンストン日本語教会を開設することを御心とし、西郷牧師をはじめ牧師夫人、栗栖信之氏らに揺るぎ無い召命を下されました。こうしてPJCは1991年10月27日、地元のプリンストン・アライアンス教会の協力のもと信仰を持って出発したのです。

  PJC発足後、最初の月には平均8名の礼拝出席者が与えられ、それが約一年で20名に達しました。しかし、殆どの方々が短期滞在者であられたことから、93年は14名、94年には12名の方々を日本や、或いは米国の他の地域にお送りしなければなりませんでした。毎年会衆の半数以上の方々を送り出さねばならなかった状況の中で西郷牧師は、この教会の宿命とも言える「流動性」の持つ積極面を見逃しませんでした。

  米国アライアンス教団発行のアライアンス・ライフ'96 2月号で、師はこのように答えました。「PJCは送り出す教会なのです。この地で日本人がキリストと出会い、弟子となり、そして母国に証人として送り返す。これが私達の使命です。主は教会を大きくしなさい、とは仰らなかった。出ていって、福音を宣べ伝え弟子を造りなさいと仰ったのです。」 (原文参照)

  このように、「送り出す教会」としてのビジョンが与えられたPJCには、前述したように600名前後の邦人人口の中ではありますが、不思議な主の導きにより、新しい方々が加えられ、また救いの御業が進み、93年度以降は毎年2名以上の受洗者が与えられてきました。又長期滞在者や永住者の方々も、徐々にではありますが加えられ始め、現在97年度4月までの平均出席者は33名となっています。

  収穫の主は働き人をも備えて下さり、94年春には日本への宣教師候補生として、デイビッド・キンダーバーター師を送って下さいました。同師を通して礼拝音楽、サンデー・スクール、又ESLプログラムも充実してきました。

  PJCのこれまでの歩みと成長の背後には、米国アライアンス教団、又地元のプリンストン・アライアンス教会のお祈りと支援があったということを覚え、深い感謝を主に捧げます。そして95年4月、今度はPJCが姉妹教会を生み出すに至ったのです。それがウェストチェスター日本語教会(Westchester Japanese Church = WJC、現ニューヨーク日本語教会)です。

  WJCは、単に「私達の願い」としてではなく、むしろ神と人々の求める「声」に押し出されるようにして、主の御計画の内に始められました。プリンストンでの伝道牧会に携わりつつも、私達は同地を「越えた」近隣に住む数万に及ぶ日本人の救いを常に「重荷(ヴィジョン)」として祈りの中に覚えて参りました。一方、発足に先立つこと約一年半前の1995年の冬頃より、当時ウェストチェスター地域に住んでおられた数名の日本人クリスチャン達が、同地域にもう一つ日本語教会が与えられることを、主の御心と信じ祈り初めておられました。更にはこれに先立つこと数年前から、長い間日本人を愛し、自ら英語を通して彼らのために伝道してこられた一アメリカ婦人が、同じくウェストチェスターに「日本語教会」が設立されるようにと切なる祈りを捧げておられました。それらの祈りと願いは、主の御前から更に私達の耳にまで「マケドニア人の声」として届けられました。そして遂には私達の属するアライアンス教団メトロポリタン地区の指導者達にも、この「声」が主からのヴィジョンとして及び、私達の元へ「開拓」の要請として届けられたのです。

  しかし、人間的には(1)プリンストンでの働きのこと、(2)西郷牧師の博士課程の学びの継続のこと、(3)牧師家族の事情等々から、ウェストチェスターの開拓に踏み出すことは、極めて困難に見えました。その為、以後約一年半が御心を求める祈りと具体的準備に用いられたのでした。(つづく)


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